齋藤周展「かたちの心地」

2015

個展「かたちの心地」
会場: クラークギャラリー+SHIFT / 札幌
会期: 2015年11月1日~29日

 

個展 「かたちの心地」について

忘れてしまっていること
いつのまにかなくしてしまったこと意識的に消し去ったこと
人が本来持っている力のこと私たちの生活の中で意識して見ようとしない限り、見えてこないこと
例えば自分の好きな鍋、いつも通っているコンビニのドア、職場の建物のかたち。

築60年近くになる自分の借家のかたち。なんでこのかたちなんだろう。余計な出っ張りやはみ出しがあり、変なところに物置があります。昔から使っているモノも今はあまり見ないかたち。昔につくられたこのかたちは、今、新しいものの中にはあまり見かけないけれど、でも随分と作り込まれている形。時間をかけられていて、携わった人の想いや、なにより人の体温を感じます。有機的なかたちです。
しかし日々の生活の中で、こんな風に形や色から広げていくことは多くはなく、そこまで深く考えてられていない自分がいます。

一手間かけることはちょっと面倒だったり、ちょっとの努力や必要なだけ時間がかかることですが、でも心は潤う。割と嫌いではないのです。生きることに忙しい今の私たちは、ものごとに手順があれば、むしろ端折ってしまっている。しばらくお昼ごはんをじっくり噛み締めて味わって食べていないように。

最近は、利便性や経済性の方が生活をより豊かにすることとされ、ひと手間かけることは、身近なものというよりむしろ贅沢の部類に寄り添ってしまっている気がします。でも本来それは雑誌で特別に紹介されるものではなく、もともとは私たちの日々の生活にあたりまえにあったことのはず。時間は短縮され、手間のかかる(時間がかかる)ことはどうも良いことではないようです。そのために生活の中に当たり前にあった一見イビツで余計なかたちの一部は無駄であったり、経済的ではないとされ消え去りはじめています。世の中の凸凹をないものにして平面的な処理で体裁は保たれてるけど、そこに中身はあるのでしょうか。世の中のさまざまな多様性は平らになって、そして私たちの心も世の中のさまざまなかたちと同じように平面的になってきているのではないでしょうか。

人が平らになるということは、いちいち考えるということを放棄した姿にも似ています。最初からあきらめ、みんなと同じコトが正しいと感じ、新しい視点を見いだそうとせず、誰かと同じ価値観で安心している今の私たち。イビツで面倒で時間がかかることに積極的にかかわることから、現代的な時間軸が失わせようとしている根源的な何かを取り戻す事ができる気がするのです。

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齋藤周展「かたちの心地」

 

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